「カッコイイなぁー」と聖歌412番の力強い雰囲気に沿って何となく理解していたこの言葉。実はアモスの貧富の差への痛烈な批判だ。
紀元前758年の北王国は長期政権のもとで繁栄していた。しかし「貧しい者を踏みつける」(5:11)経済力は、債務奴隷と貧富の格差を生んだ。そこにアモスは滅びを宣告した。「主を求めて豊かになろう、と聖所で祈るくせに、一歩外に出れば貧者に何もせず搾取し続けるお前たちに主は怒り、国は滅びる」。滅びのみ言葉は722年の捕囚で実際に実現した。救いの福音は、罪の滅びの後にしか聞こえてこない。
アモスの心を継いだイエスさまも滅びのみ言葉を語る。(10:22,24,26)「金持ちは神の国に入り難い。」どんな解釈も言い訳だ。主はいつも貧しい者の側に立ち、神の国は貧しい者のもの。(ルカ6:20) これを素直に受け入れたい。
私も「貧しい者を踏みつける」側だ。100円ショップで誰かの労働を搾取し、町の鉄工所では実習という名でアジア人を債務奴隷にする。正義の主は私に、私個人の責任だけでなく、社会全体の不平等と貧しさの責任を問われる。
滅びのみ言葉は、キリストと共に全ての不平等を滅して初めて、恵み豊かな福音に変わる。
私も「貧しい者を踏みつける」側だ。100円ショップで誰かの労働を搾取し、町の鉄工所では実習という名でアジア人を債務奴隷にする。正義の主は私に、私個人の責任だけでなく、社会全体の不平等と貧しさの責任を問われる。
滅びのみ言葉は、キリストと共に全ての不平等を滅して初めて、恵み豊かな福音に変わる。