「あたし楽しかったからさぁ。こんなのじゃお釣りがくるくらい。」映画『万引き家族』で、収監された妻が接見室で向かい合う夫に言う。独りで生きていたなら言えない言葉。私もいつも自分に向き合ってくれる妻に、最期には言いたいと思った。「オレ楽しかったからさぁ」。
もちろん結婚や家族にも罪な現実が忍び込んでいて、身勝手さによって人は傷つけ合い、離婚は泥沼化する。だがイエスさまは離婚した人間を断罪せず、視点を神の心に移し、本来の男女の生きる目的を創世記から語り直された。
神の願いは「人が独りでいるのは良くない」だ。神の似姿である人間は、独りで生きるためではなく、誰かと共に生きるために造られた。神はそのために「彼に向き合う救い手」を、男自身から造って出会わせる。この親密な相方の女がいなければ男は一人の人間にも、自分自身にもなれない。人生の喜び苦しみの中で、一切逃げずに自分と向き合い、共に分かち合ってくれる女。二人で生きる交わりが「生きる楽しさ」だ。
この楽しみを傷つける罪を癒すため、神は自ら傷を受けた。そして私たちをご自分の家族とされた。笑いも涙も向かい合って分かち合い、最後に「楽しかったからさ」と言える大家族に。
この楽しみを傷つける罪を癒すため、神は自ら傷を受けた。そして私たちをご自分の家族とされた。笑いも涙も向かい合って分かち合い、最後に「楽しかったからさ」と言える大家族に。