預言者アモスは「私は生計を立てるための職業預言者ではない」と職業祭司のアマツヤに反論した。「だから肩書きで言うんじゃない、神に語られた一人の人間として言うんだ。」
アモスは羊とイチジク桑で生活を立てていた「ただの一信徒」だ。しかし聖職者組織が豊かになった国の陰に堕落した時、神は農夫を選び取り、神の民に正義と恵みのメッセージを持たせて、遣わされた。「正義を洪水のように、恵みを大河のように、流れさせよ。」(5.24)
人となった神は、職業聖職者ではなかった。田舎の大工だった。ただの一人の人間、神の民の一人となり、言葉と行いで貧しい民と一致し、神の愛を表して死んだ。そして復活した。
アモスの神に「私はただの一信徒だから、、、」と言っても無意味だ。神には肩書きも、信仰歴も、知識も、祈りの技術も、罪さえ関係ない。主が選び取られたなら、主は必ず呼び寄せて教え、強めて遣わし、最期まで守り通される。(マルコ6.7)
神の言葉とは人が、肩書きからでも生活のためでもなく、一人の人、ひとつの神の似姿として語る言葉だ。何の利益も不利益も関係ない。私が語るのはただ主が語るから。「正義と恵みを流れさせよ。あなたは神の我が子。」