人を本当に「打ち砕く」のは何か。普通は失敗だろう。この神の言葉を聞いたのは、失敗続きで絶望しかけた民だ。B.C. 539年に捕囚民は解放された。だが多くは帰郷せず、帰った民も貧困に喘ぎ、内外で対立して神殿再建は進まない。メシアの王国を実現することにことごとく失敗し、民は「打ち砕かれた」のだ。
失敗はしかし自我は打ち砕かない。より頑なにさえする。本当に打ち砕くのは、赦しだ。神は「背き続ける彼の道を見て」呆然とした。そして腹わたから苦しみつつ、人を休ませ癒し、慰め回復させようと決心された。人が悔い改める前に神が悔い改めて、人を赦された。
イザヤ書から十字架のイエスさまが語りかける。大失敗者として殺されたイエスさまが。「失敗ばかりのあなたをわたしは赦す。もういい。わたしが責任をとる。だからあなたはもう自我を捨てて、自分にこだわるのをやめなさい。そして賛美と平和を唇に実らせなさい。」
私個人としても、牧師としての人間関係の失敗を知りつつ、毎週赦しを祈ってくださる兄弟姉妹の存在に、自我が打ち砕かれる思いだ。み言葉を語る力を、私はここから得ている。
あなたを打ち砕く赦しの御血が、聖卓であなたを待っている。