以前よく金を借りにきた友人がいた。小さい額だが度重なるにつれて段々嫌になった。貧しいことは確かな様だが「またすぐに借りに来る」と思うと手も心も閉ざしてしまった。
申命記は勧める。「貧しい人には、出し惜しみをせずに貸し与えよ。貧しさは無くなることはないが、それでもあなたは貸し与えよ。」自分の財産や幸せ、愛や命は、後生大事に握り締めるもんじゃない。貧しく苦しむ人が必要とするなら、いつでも分け与えよ。手を閉ざす生き方ではなく、手を開く生き方を、与え続ける生き方を、あなたは選び取れ、と。
イエスさまは選び取った。私たちの替わりに。幼い娘を失いかけて頼ってきたヤイロに「手を閉ざすことなく」命を与えた。絶望を超えて与えられた命は、死を超える命だ。イエスさまご自身の命が開かれて与えられた命だ。
命を与えることは容易い「無料配布」ではない。それまで大事に握ってきた自分の命を手離して与えると、自分は死ぬ。それでも相手が生かされる喜びが勝る。この喜びが父と子と聖霊に響き渡って、キリストは復活した。
今も主は、釘跡のあるその「手を閉ざすことなく」私達にご自分の命を与え続けている。