戦う羊飼い--「 彼らの口から群れを救い出す」エゼ34.10 (復活節第四主日)

2018/04/22

   聖書は王様と民を、羊飼いと羊の群れに譬える。教会もその責任者を「牧師」と呼び羊飼いに譬える。そして預言者エゼキエルは問う。「牧者は群れを養わず、自分自身を養っているではないか」(34.8)。「傷ついた者を包まず」「失われた者を探し求めず」の言葉に自分の牧会上の失敗と怠惰が、イエスさまに指摘される思いがする。
 羊飼いは「牧歌的」ではなく厳しい職業だ。群れを導いて新しい牧草地と水場を求め回り、猛暑の昼も極寒の夜も羊を見守り(創31.40)、一匹でも迷い出れば必ず探し出す(ルカ15)。そして熊や獅子に襲われた時は「追いかけて打ちかかり、その口から羊を取り戻す」(サム上17.25)。この戦う羊飼いの姿にイエスさまはご自分を譬えられた。「わたしは良い羊飼いだ。羊のために命を捨てる」(ヨハネ10.11)。
 戦う牧者イエスさまは「熊や獅子」のように羊を食い物にする悪い牧者の「口から群れを救い出す。」人間に巣食う罪と死の力に対して傷つき死ぬまで戦い抜き、羊の群れを取り戻された。復活して今も生きているのはこの羊飼いだ。だから私たちは自分たちの罪と死の口からも必ず取り戻してもらえる。この大牧者がいて初めて、人は人の牧者になれる。

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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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