共に苦しむ僕 --「彼が担ったのはわたしたちの病 彼が負ったのはわたしたちの痛み」イザ53.4 (B年復活前・棕櫚主日)

2018/03/25


「イエスは私たちのために死なれた」と信じるべきなのだが、「ピン」と来ないときが多い。 イエスさまの側はどうだったのだろうか。私たちのために苦しむために自分は生まれたと、どのようにして「ピン」と来たのだろうか。 本来のイザヤ書53章「苦難の僕」が意味したのはバビロン捕囚で絶望した民だった。神の国と王位継承が失われ、拉致されて一世代が過ぎ、「もう我々に神はいない」と絶望する頃、「ピン」と来た預言者がいた。「苦しむのは神の罰ではなく、苦しみを共にすることで共同体の人々を癒すため」と。そう理解して励まし合った。 600年後イエスさまは「苦難の僕」を通して父なる神と対話された。そして苦しみの中でこれをご自分の心とされた。「わたしは苦難の僕。民の病を担い、民の痛みを負い、民の罪と死を共にする、そして多くの実りを得て、神の共同体を創る。わたしはそのために生まれてきた。」 私が信じない日も、イエスさまは信じて共に苦しんでくださる。贖罪は父が子を罰する怒りではない。神が民の苦しみを共にして癒す愛だ。十字架の苦難の僕は、復活して今も働き、多くのの人の苦しみを共にしている。あなたのどんな小さい病気も、痛みも、罪と死の力の結果も。

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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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