力は捨てた--「雲の中にわたしの虹を置く」創9.8-17 (B年大斎節第一主日)

2018/02/18

 ノアの洪水の原因は神の怒りではなく、人間の尽きない悪だ。人が悪に満ちるのを神が「後悔し、心を痛められた」(6:5)そこで力に訴えて悪を一掃し、人間と被造世界を再創造された。  
 英語の虹「レインボー」の「ボー」は「弓」を意味するヘブライ語が語源。それは虹と弓がその曲がった形が似ているから。だから「わたしの虹を置く」、は「わたしの弓を置く」となる。  
 罪人が悔い改めないとき、神の弓は天から地上の人間に向かって張られ、稲妻の矢が放たれる。(詩7:13-14) しかし創世記9章の弓は上を向き、弦(つる)も張られていない。これは神が武器を捨てた姿。弓を天の雲に掛け、全ての力を捨て、人間と被造物に平和を誓われる姿だ。  
 掛けられた弓は、十字架に掛けられた力なき救い主を想起させる。神は自ら武器を捨て、力を捨て、人間の悪どい心の結果を自ら進んで引き受けられた。人々の代わりに自分が神の弓矢に貫かれた。そうして人間の悪どい心と共に死に、復活によって人間を新しく創造なさった。  
 洗礼は再創造に与るための洪水だ。私たちは洪水で死に、力を捨て、イエスさまと一体になって、虹の下で新しい人に再創造された。だから虹は力を捨てた神と、再創造された人間のしるしだ。非暴力によって義を求める旅のしるしだ。

このブログを検索

そのほかのメッセージ

ラベル

復活 十字架 神の愛 聖餐式 信仰 祈り 聖霊 イエス 受肉 神の国 三位一体 癒し 赦し アッバ 悔い改め キリスト クリスマス 委ねる 恵み 救い 昇天 羊飼い 自分らしさ アブラハム ゲセマネ 兄弟姉妹 出エジプト 勝利 召命 変容 弱さ 悪霊 教会 洗礼者ヨハネ 神の子 解放 ぶどう園 インマヌエル ゲッセマネ 創造主 喜び 大祭司 奇跡 嫉妬 子ども 宣教 忍耐 悔い改め、荒れ野 悪魔 感謝 放蕩息子 洗礼 神の支配 自由 行い 過ぎ越し 陪餐 Being うつ かみのくに からし種 み名 み心 アダム イスラエル エリヤ ガリラヤ サマリア人 ザアカイ スキャンダル タラントン タリタクム パン裂き ピスティス ペテロ ペトロ マリア マルタ メシア ヤイロ ユダ ユーカリスト ラザロ 不安 不正な管理人 主の祈り 今ここに 仕える 伝道 信頼 偶像 共感 再創造 再臨 十戒 原罪 受容 受難 境界線 天国 奉仕 奉献 婚宴 安息 審き 希望 平安 幸せ 弟子 律法学者 従順 忠誠 憐れみ 懺悔 成就 戒め、山上の説教 承認欲求 招き 新しい創造 最後の晩餐 栄光 楽園 権威 歴史 毒麦の譬え 洗足式 清い 灰の水曜日 無力 父、三位一体 独り子 現存 生きる意味 病い 真理 礼拝 祝福 神の家 神の言葉 神殿 祭司 種蒔き 絶望 聖書 肉体 自己肯定 苦難の僕 裁き 見失った羊 覚悟 親密さ 観想 記憶 誓約 誘惑 誠実 譬え 財産 貧しい人 貧しい人、共有、復活 賜物 賢明さ 躓き 身代金 迫害 追放 重荷 障害 静けさ 食卓 飢え 養い

自己紹介

自分の写真
大津市, 滋賀県, Japan
聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

日本聖公会京都教区 大津聖マリア教会

Wikipedia

検索結果

コメント

名前

メール *

メッセージ *

Tags

QooQ