聖書の分かち合いでは、主の臨在のしるしとしてキャンドルを灯します。安いものなので、ロウが減ればすぐに新しいものに交換します。
しかし神は決して人の心を使い捨てしません。この「主の僕の歌」はイスラエルの民が敵国に拉致されて何十年も経った後の言葉です。主の僕はイスラエルの民のことであり、暗くなった人とは色んな故郷から拉致されて来た諸国民です。暴力的な力に圧迫され、神も感じず、生きる意味さえ失った暗い心です。
「もうアカン、もう終わりや。」暗い心に接すると、自然とそれを否定したくなります。「明るく考えて、明るく生きなきゃ!」と。しかし主の僕は暗くなる灯芯を決して力で否定して消したりしません。忍耐強く、優しく、自ら再び燃え出すまで、両手でその人の灯火を包みます。あなたの心を信じて、守り抜くのです。
イエスさまは父の御心、聖霊をこのイメージで理解しました。暗い心を自らの内に包み、圧迫された人々の義を導き出すため、暗い十字架で死ぬまで守り抜かれました。そして皆が消えたと思った後、復活して再び輝き、今も教会の民を用いておられます。イスラエルの民の使命を、自らの体で実現するために。