預言者が幻を語ったのは、民がバビロン捕囚から故郷エルサレムに帰った後です。夢に見た理想とは裏腹に、待っていたのはがっかりする現実でした。ペルシャ帝国の支配と略奪は続き、イナゴの大量発生などで飢え死にすれすれの生活で、高齢者や子供から無力なまま死んでいく。
希望のしるしの神殿が再建されても、その内実は祭司階級の迷信と虚無的な姿勢によって腐敗しています。何より捕囚から帰還した人々が、残った人々と対立し、傷つけ合っているのです。
私も、洗礼を受ければ世界が変わると期待しましたが、暗い現実や問題は急には消えませんでした。何度聖餐に与っても何も変わらない自分がいて、牧師や教会が変わっても同じ人間関係のこじれは起こります。そして「礼拝しても何も変わらないんじゃないか」とだんだん神が人を変革する力を信じなくなってゆくのです。
そんながっかりした絶望の中でもイザヤは、神が新しい天と地を作りエルサレムを喜び楽しむ存在とする、そう信じて民を励ましました。
人となった神、イエスさまもそう信じて死から復活しました。この方こそ新しい天と地です。人の目には何も変わらないがっかりな現実とは別次元で、全く新しい神の現実が成就します。