「エルサレムの廃墟を見つめる、総督ネヘミヤ」
ジェームズ・ティソ、19世紀、ユダヤ美術館、ニューヨーク
「わたしは主によって喜び楽しむ」イザヤ61.10
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これは幸せな時の自然な喜びの言葉ではありません。戦争で廃墟と化した故郷エルサレムで、それでもの再建する未来を信じた言葉です。喜びも楽しみもない時に、主の内に喜び楽しんでいる自分を未来を信じて想像しています。表紙絵のネヘミヤの鋭い目つきは「必ず再建してみせる」という決意の表れです。
ネヘミヤの神は再建と再創造の神です。私たちは神のに創造されてこの世に生まれ、心も体も一瞬一瞬生かされています。なのに私たち神の民は主を忘れます。国の滅亡も、人間の死への定めもまた、神の怒りの結果です。
しかし神は再び民を慈しみ、憐れみ、愛そうと決心されました。廃虚のままにせず再建しようと。そして民の一人となってこの世に生まれ、民の罪と死を自分の体に受けました。
洗礼と聖餐を信じてキリストと一体になった人は、再創造されます。どれだけ滅びの道を歩んで廃虚と化していても、神の存在を感じられる「神殿」として再建されます。
この神殿で民は神の子として生まれ、イエスを兄として、父と子と聖霊なる神の家族になり、神と親子の楽しみを持ちます。ちょうど年末年始に楽しむ親子の親しさのように。
この神殿で民は神の子として生まれ、イエスを兄として、父と子と聖霊なる神の家族になり、神と親子の楽しみを持ちます。ちょうど年末年始に楽しむ親子の親しさのように。