あれはイエスだった --「わたしの兄弟であるこの最も小さい者」マタイ25.40 (A年降臨節前主日)

2017/11/26

「郊外のキリスト」ルオー、1920–24年、東京ブリジストン
美術館蔵、 © Artists Rights Society, New York / ADAGP, Paris.
 聖餐式で信徒がイエスさまの体を食べ、その赦しの血を飲む瞬間は、まるで人が口づけしている姿のように、親密でプライベートな瞬間です。信徒は赤裸々な魂で主と交わり、主は自らの体と血で飢えと渇きを癒します。司祭として「あなたのために与えられた主イエスキリストの体」と宣言しつつ、私は、信徒一人一人の内に存在するイエスさまに見つめ返さる思いです。  
 確かにイエスさまは教会の外の社会にいる貧しい人の内にいます。しかし飛び越えてはいけないのは信仰で結ばれた兄弟姉妹の内にいるイエスさまです。牧師も信徒も最後に問われます。「飢え乾くわたしの兄弟姉妹のためにあなたは何をして、何をしなかったか。あなたが求め続けたわたしは、実はあなたの目の前のあの信徒の瞳の中にいた。だからあなたがあの人の瞳のわたしにしたことが、あなたの救いとなった。」   
 子なる神は人となり、父なる神にすがって生きるしかない魂の乞食となりました。そして飢え渇き、裸で弱められ、居場所なく囚われ、殺されました。それは同じように飢え渇き、絶望する信徒の内に存在するためです。このためにこそ、復活したイエスさまは自分の体と血を、飢え渇いた私たちに食べさせ、飲ませるのです。

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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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