ウジェーヌ・ビュルナン「タラントンの譬え」
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私は歌うのは好きだがカラオケは苦手。マイクを通すと音痴で、歌手と比べられ、点数もつく。教会では点数はない。誰とも比べない。自分に命と喉を与えた神に歌う。
音痴を開き直るのではない。自分に与えられた喉と耳と肺活量と力と才能と祈り、全てを尽くして最大の声で皆と合わせて歌う。力を使う。疲れる。肺や心臓の弱いお方はまさに命がけ。でも命と自分をその歌に懸けて歌う。すると私たちは神のメロディーになる。「あぁ生かされている」と感じる。そして歌は心に溜まったガスのような感情に火をつけ涙させる。「ああここにいていいんだ。ここに神はいるんだ。」
私の親族は真言宗でクリスチャンは自分だけ。きっかけは若いある冬、生きる意味が分からない、死んだ方が楽だ、と嘆いて入った教会で、懸命に聖歌を歌う会衆に出会ったこと。みんなハレルヤハレルヤと大きな声で嬉しそうに歌い聖書を会衆に迎えていた。歌声を聞いて涙が溢れて止まらなかった。「あなたも同じように喜んで歌って愛して生きていいんだよ」そう語りかけられた。命を知らなかった私が命に触れた。
今日の聖書はタラントンの譬え。芸能人をタレントと呼ぶのはこの譬えから来る。主人は召使いの才能に応じて財産を任せたから。でもタラントンは本来6千万円の単位。5タラントンは3億。莫大な金額。みなさんならどうしますか? 私ならやっぱり貯金したまま。利息ではなくただ損しないために。それは穴掘って埋めて眠らすこと。
しかし主人が帰った時、つまりこの世の終わり・人生の終わりに、ただ金を埋めただけの召使いは罰せられる。「臆病者! 失敗してもいいから勇気を出して商売を行って欲しかった。あなたの人生で勇気を出して、自分の命をかけて、リスクを背負って、神の働きを一生懸命に行って欲しいのだ。強く悪い者には正義を洪水のように、弱くされた者には恵みの業を大河のように。勇気を出して行えば、私の喜びに入れたのに。」聖書が勧めるのは、自分自身を守る生き方ではなく、勇気を持って使い切る生き方。
礼拝で歌うことは生きることを教える。自分を使って歌えば歌うほど、神の音楽が自分を満たす。自分の命は使えば使うほど、神の命が自分を満たす。「自分の命を救いたいと思う者はそれを失うが、わたしのために命を失う者はそれを得る」(16.25)
3億円を失う覚悟で勝負にでるような生き方。イエスはそんな生き方をした。イエスはあなたを死の力、生きていても死んでいるような日々、から救うために、自分の命を使い切って十字架で死にました。しかし使い切ったからこそ、彼は神に復活させられ、今も私たちが祈り集まる只中に存在し続けている。神は自分の命を失う覚悟であなたを愛しました。大切にしています。思ってくださっています。導いています。
あなたはどう人生を歌い切って、最後の日を迎えますか。