自由の傷 「わたしの息子なら敬ってくれるだろう」マタイ21.37 (特定22)

2017/10/08


 ある地主さんは、田んぼを人に貸して自由に作らせ秋には新米を賃料がわりに頂いていました。しかしある年、誰も何も持って来ない。お手伝いさんを様子見に遣わすとなんと、袋だたきにされた。さぁ、あなたならどうする?  
 私ならすぐ警察に被害届けを出し、弁護士に相談して強制的に追い出すでしょう。しかし「主」」なる神はそんなときにこそ「わたしの息子なら敬ってくれるだろう」と最愛の独り子を遣わすお方だと今日の譬えは語ります。そして案の定、息子は土地を乗っ取るつもりの小作人にひどい暴力を受けて殺されます。「考えが甘い、寛容すぎる、息子さんが可哀想」と私たち人間は思います。一体なぜ、父は息子を無防備に、死を覚悟で遣わしたか。  
 答えは「敬う」の中にあります。人間が神を敬うとき、それは強制的ではありえません。それは自由な心で愛することです。神はその似姿に造られた人間の自由を尊重します。自分が傷つき殺されても尊重します。人間の根深い怒りと攻撃を全て受けても尊重します。  
 それは主イエスが復活して罪と死を超える人間性を自らの内に完成した時、新しいイスラエル、あなたにその自由を与えるためです。

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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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