ホーム
/
その他 /
憐れみの実習 「惜しまずにいられようか」ヨナ書4.11 (A年特定20)
2017/09/24
「神の教会なのに、なんであんな人がいるんだろ?」そう思ったことはありませんか。聖職者同士でもそう怒る時があります。そしてきっと自分も誰かに「あんな奴が牧師でいいのか」と思われていることでしょう。
預言者ヨナの怒りはこの「自分の敵が神の恵みの内にいる」ことに対する怒りです。今までさんざん悪いことをしてきた敵は罰せられるべきだ。悔い改めたからといって、なぜ神は滅ぼさず憐れむのか。不公平だ、不条理だ!
ふてくされるヨナに主は実習を与えます。まず唐胡麻の木を生やし、日陰を与えて喜ばせ、しかし一夜で枯らせて「死にたいくらい」に惜しませます。そしてこのヨナの「日陰が惜しい」という怒りを逆手にとって、主の「ニネベが惜しい」という憐れみを伝えるのです。「自分で労しても育ててもいない唐胡麻を惜しむ心があるなら、わたし自身が労して育てた人々を惜しみ憐れむ心が分かるだろう」と。
自分の怒りを通して、憐れみを教えられたヨナはこの後、悔い改めたでしょうか。それはあなたが決めることです。「あんな悪人をも惜しみ憐れむ主は、十字架で私の怒りを受けても憐れみ続けてくださっていた」かどうか。