神は人を新しくする時、名前を与えます。湖上歩行の場面では信仰が小さくて沈んだシモンを、イエスは「ペトロ(岩)」と命名して神の新しい民の土台にします。沈まないでしょうか。
しかも、シモンの信仰告白「あなたはメシア」の中身は間違っていたのです。シモンは軍事的にイスラエルを独立させる「油注がれた王」を期待していました。だから十字架の道を制止した時、「サタン引き下がれ」と言われます。 本当の王は人の罪と死を背負って十字架で死ぬ。この救いの道を悟るのは復活の後です。復活のイエスに出会い、裏切りが赦されて、赦しの教会の岩となっていきます。信仰は、自分の理解を超えて、正しい神理解へ導いてくれます。 シモンがペトロ(岩)となった信仰は人間の力、人間の土台ではありません。信仰は最初から最後まで天の父が与える祝福です。たとえイエスを信じられず否定しても、神はその人の内に信仰の岩を置き、イエスが宿る神の家を建てられます。自分で作った土台は沈みますが、神の置いた岩の土台は決して沈みません。だから私たちは、神の岩を信じて教会生活を営みます。
私たちは神の岩の民。シモンを岩の土台として建てた私たち教会を、神は必ず導かれます。