もしこの週末、本当に神さまに会えるなら、どんなお方を想像しますか? 雲の上のお方か、まばゆい光で見えないお方か、白髭のご老人か。
小説「神の小屋」では、我が子を奪われた主人公マックが出会う神は、一人ではなく三人です。大柄の黒人女性「パパ」と、平凡なアラブ人青年イエス、そしてアジア人女性の聖霊「サラユー」、この三者が互いに仲睦まじく食卓を囲む交わり、その関係が神です。そして悲しみと憎しみに支配されたマックは、この三者の団欒の間で、神の本質を知り、救われていきます。
父と子と聖霊の複数形の神は、誰からも離れた絶対的な孤独者ではありません。いつも相手に関わり、相手に影響され、互いに助け助けられ、愛し愛される「お互いさま」の神です。こう言うと何か弱い印象を受けますが、その通りです。誰かを愛すると弱くなります。相対的になり、受け身になります。そして神の愛は無限だから、神には無限に弱くなる力があるのです。
神はあなたを愛して人となり、弱くなり、喜びと悲しみを全てご一緒されました。いつも共にいるためです。この「お互いさま」の神の団欒が私たちを遣わします。「弱くなっていい。自分を与えて愛する。それこそ本当の力だ」と。