「自らを償いの献げ物とした」イザヤ53.11 (A年復活前・棕櫚主日)

2017/04/09

 十字架は死刑の道具です。今なら絞首刑の縄です。もし教会に縄の輪っかが飾られていたら「ぎょっ」とします。イエスの死はそんな事件でした。国への叛逆罪で処刑され、人々へのさらし者にされたのです。  
 だから初代の信徒たちは救い主の醜い死について説明を必要としました。今日も受難物語を聞けば思います。「これは何の意味か、なぜ神の子が苦しむ必要があったのか。」  
 答えの一つが旧約時代の「償いの献げ物」「犠牲」です。その昔、年に一度の贖罪日に、祭司は雄山羊の頭に手を置き、民の罪を背負わせ、荒れ野に追いやりました。そうして民は罪が赦され、咎は消え去り、神と一致して生きていくことが赦され他のです。ただ人が献げる犠牲には限界がありました。  
 しかしこの救いの時、今度は神自ら人となり、生きる全ての瞬間で父に心を一致させました。神の民の過ち全てを自ら背負い、自らが償いの献げ物として、犠牲とったのです。人の罪を自ら背負って荒れ野へ追いやられる雄山羊として、街の外れの十字架へ追いやられ、見捨てられ、死んだのです。  
 神は人を自分から隔てる罪を、自らがその犠牲になることで終わらせました。私の罪は神の背に、神の命は私の背に。この幸せな交換を、受難物語の中で祝いましょう。

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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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