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悟り「パンを裂いてくださったとき」 ルカ24.35 (A年復活後第三主日)
2017/04/30
毎週昼食を準備してくださる方々がいます。しんどい時も、腰が痛い時も、人が少ない時も、自分の時間と労力を裂かれます。食を分け合い人を養うことは、自分を与えることですね。
エマオの二人にパンを裂く姿で現れたのは、自分を裂き与えるイエスさまでした。それは父にパンを感謝して一人一人に裂き与えること。イエスは漁師を召してパンを裂き、徴税人や売春婦や罪人を迎えてパンを裂き、頼って来た5千人を養ってパンを裂き、そして最後の晩餐では自分が十字架で裂かれて死ぬ使命を語って、パンを裂きました。「わたしの人生は一つのパン裂き。わたしは裂かれて死に、あなたたちにこの命を与える。あなたが死から復活へ脱出するために裂かれる過越のパンに、私はなる。」
復活したイエスさまに普通は気づきません。しかしエマオでのように、復活したイエスは聖書と聖餐を通して私たちに現れます。聖書を開いて心を愛で燃やし、パンを裂く動作のうちに自らを現されます。そして今までの平凡で苦しい日々、実は共に旅していたのだと悟らせます。
自らを裂いて与える主イエスは、私たちにも「パン裂き」を生きるよう願われます。「愛とは自分を裂いて与えること。それは痛い。でも喜べ、裂く時にこそ、わたしはあなたと共にいる。」