大学一年の頃、私は引きこもりでした。喜びも自信も失い、人を避けて昼間から雨戸を閉め、いつも息が張り詰めていて苦しかった。人と交われない状態は、何歳でも息苦しいと思います。
復活日の弟子達も、初めは喜んではなく、恐怖から戸に鍵をして引きこもっていました。その真中に十字架から復活したイエスが入り、宣言されました。「恐れることはない、平和をあなたに与える。」弟子達は一気に喜び溢れます。
そして「父がわたしを遣わし、わたしはあなたを遣わす、聖霊を受けよ」と言って息を弟子達に「フーッ」と吹き入れます。不思議な光景です。人工呼吸の様であり、窓を開けて春風を部屋に入れる様であり、弟子らは「スーッ」と深く命の息を吸って生き返る様です。そう、創造主はアダムに息を吹き入れて生きる者としました。その同じ神がここで働き、イエスは罪人に自分の霊を吹き入れ、永遠の命と赦しに生きる新しい人として創り直しているのです。
ただし弟子に吹き入れられた霊はそこで終わりません。聖霊は弟子をイエスの延長とし、父の働きの続きへと遣わします。全ての異邦人に神の子を宣言し、赦しの命か、息苦しい死か、という信仰の選択を与える働きです。
神は今、私達弟子を用いて人に息を吹き入れます。