イエス様は罪と死に潰されるだけではありません。受難物語を聞く私たちは、苦しく悲しむだけでなく、神に変えられていくのです。
神は私たちをご自分と隔てる罪を終わりにしようとして人となり、裏切りの罪と十字架の死を、自ら進んで引き受けられました。それを母マリアと弟子ヨハネが見つめています。
その十字架の上で主は「養子縁組」の宣言をされます。まず自分を胎に受け容れて人間として生んだ母マリアに「愛する弟子ヨハネを子供としなさい」と言います。そして弟子ヨハネに「マリアを愛する母としなさい」と。
これはヨハネがマリアを以後大切に保護した、というだけではありません。母なる教会と神の子である信仰者の関係のことです。十字架の神は信仰者を、母マリアの子、イエスの兄弟、父なる神の子に変えます。そして十字架の神はマリアを、信仰者とイエスの共通の母、母なる教会に変えて、愛し始めたのです。
十字架の主は聖餐と洗礼を表す血と水を流しました。主は自分の命の息を注ぎ、私たちを父なる神の子に、また神の子の愛する母なる教会に変えてくださいました。父と子なる神の親密な関係が、霊的に注がれたのです。