「人の内で湧き上がる永遠の命の泉」 ヨハネ第14章14節 (A年大斎節第三主日)

2017/03/19

 「渇く」と十字架で言われたイエスさまは、疲れ果て、渇く人として私たちに出会われます。神は人類の渇きを受け取られました。
 今日のサマリア人女性も渇いていました。神との会話の中で露わになりますが、彼女は五回も離婚し、今の男とは結婚さえしていません。スキャンダルです。だから涼しい朝夕の井戸端会議は避け、昼に水を汲みます。「井戸は深いの」と言うように女性はバケツを40mも下ろして水を汲みます。それは神の遠さの一つの象徴でもありました。
 私も聖書を読むとき、同じようなときがあります。自分の人間的なつるべは下ろしても下ろしても神の水に届かず、手繰れども手繰れども上がっては来ない。遠い、、、と。
 しかしイエスさまの水は違います。「わたしが与える水は、その人の内で湧き上がる永遠の命の泉となる。」(14節)井戸のように人間的な行いの底で死んだ水ではなく、今も近く心の中からコンコンと湧き出る泉のように神の命、聖霊をあなたに与える、と。
 イエスさまが十字架で渇き開いた復活の命。私たちはその泉です。今もいつも、どこでも誰とでも、私たちはこの地上から天上に、神の国へと無限に湧き出ています。
 さあ聖餐の井戸で汲み、泉にして頂こう。

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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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