
弟子とイエスの出会いもそうでした。弟子らは「すぐに」ついて行きました。何の躊躇も計算も挨拶もせず、命の保証も収入源も家族も残して、イエスの旅に参加したのです。
一目惚れなのですから、しかめっ面して従ったのではありません。ワクワクして自ら参加したのです。完全な自由は主に従うことです。自分の船と網で自分のために魚を漁る人生から、神のために人を漁る人生を始めました。自分を超え出た、回心した、悔い改めたのです。
一目惚れの力は自分を超えて神に入らせます。悔い改めとは、個人的な過ちを内省して悔いる、暗い感情ではありません。本当の悔い改めとは、自分を超え出て神の共同体に参加し、神の業を明るく行い始めることです。
自分を超え出させるこの力はしかし、自分からではなく相手から生じます。弟子が一目惚れする前に実は、主イエスが弟子に一目惚れして呼びかけたのです。「ついて来い」。そして惚れたのは神なのですから、私たち人間が失敗したり裏切ったりしても、その心は永遠に変わりません。「この先ずっと何があっても、わたしはあなたと共に過ごしたいのだ。」
この出会いの喜びこそ主に従う力の源です。