「処女懐胎」。実は私はこれを信じたくない、と思っていました。もしイエスが自然な男女関係から誕生したとしても、信仰には何の影響もない、と。処女が妊娠することが、一体私たちの救いと何の関係があるのでしょうか。
聖書はしかし「処女妊娠!」と週刊誌のように一点だけを人間的側面から騒ぎ立てず、神と人の歴史の中でこの奇跡を語ります。マタイ福音書は系図で始まります。「アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブをもうけ、、、」と54代の誕生をヨセフまで辿ります。しかし「ヨセフはマリアによりイエスをもうけ」となりません。それまでの人間の生の連続の糸を断絶して、神が突如、主人公として介入します。「母マリアは、、、聖霊によって身ごもっている。」だから「聖霊懐胎」と呼ぶべきです。
聖霊とは、世界の創造のとき水の面を動いて働いた神の息、命の与え主です。「創造」と「系図」と「誕生」は全て同じ言葉です。つまり聖霊懐胎は、イエスにあって人間が創り直され、生まれ直すしるしです。「キリストと結ばれる者は誰でも、新しく創造された者」。(2コリ5.17)
聖書はしかし「処女妊娠!」と週刊誌のように一点だけを人間的側面から騒ぎ立てず、神と人の歴史の中でこの奇跡を語ります。マタイ福音書は系図で始まります。「アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブをもうけ、、、」と54代の誕生をヨセフまで辿ります。しかし「ヨセフはマリアによりイエスをもうけ」となりません。それまでの人間の生の連続の糸を断絶して、神が突如、主人公として介入します。「母マリアは、、、聖霊によって身ごもっている。」だから「聖霊懐胎」と呼ぶべきです。
聖霊とは、世界の創造のとき水の面を動いて働いた神の息、命の与え主です。「創造」と「系図」と「誕生」は全て同じ言葉です。つまり聖霊懐胎は、イエスにあって人間が創り直され、生まれ直すしるしです。「キリストと結ばれる者は誰でも、新しく創造された者」。(2コリ5.17)
神はイエス誕生の時すでに、全く新しい復活の命で、人を再創造し始められました。