「たとえ死者の中から生き返る者かあっても」ルカ16:31 (C年特定21)

2016/09/25

「金持ちとラザロの喩え」より、エヒタナハの黄金福音書、1030-1050年、
 ゲルマン国立博物館蔵、ニュルンベルク、ドイツ
 「ギクリ」とします。たとえ復活のイエスさまが私の目の前に現れて懸命に語りかけられても、私には聞こえない、見えない、気づきもしない。どれだけ信仰告白しても、聖書の言葉を実践しない者の心には目も耳も無い。
 「金持ちとラザロの譬え」の満腹の金持ちには、門の外で残飯を待ちつつ餓死していくラザロの存在は見えず、その苦しみは聞こえません。それは死後、神さまの大逆転で立場が入れ替わってもまだ変わりません。金持ちは何とかラザロを使って自分の舌を冷やさせたり、この世に残した兄弟に悔い改めの伝言を伝えさせようとします。金持ちはラザロその人を受け止めて見つめず、同じ側に立てません。だから死後の大きな淵も超えられません。
 私たちはこの世に残された彼の兄妹です。今はまだ生きていて、悔い改めの時がある。神は聖書と聖餐を通して懸命に語りかけています。「貧しい者の側に立て」と。この言葉を聞いて実践する者には、自分のすぐ近くで苦しむラザロが見えてきます。今まで見えていなかった苦しむ顔が。そしてその顔からこそあの「死者の中から生き返る」お方が私たちを見つめ返しておられます。「ここにいる」と。

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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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