「むしろ末席に行って座りなさい」ルカ14:10 (C年特定17)

2016/08/28


 「どうぞどうぞ上座へ」「いやいや、下座で結構です。」そんな宴席での遠慮のやりとりをイエスさまは勧めたのではありません。これは譬えです。神とはどんな存在か、神の国、神の宴会ではどうなるかを教えたいのです。
 日本人は宴席マナーを守ります。だからこの譬えがしっくりきません。これはもっと人が欲のままに動く状況です。卑近な例なら、猛暑の駅やバス停。肘で小突きあい、足で競い合い、我先にと人を押しのけて座席を取る。
 神の宴会にも同じように人を押しのけて自分だけが強引に入ろうとする者がいる。人の救いより自分の救いを優先する者がいる。そういう者を神は力づくで低められる、と。神の宴会では、弱く不自由で、貧しくて何も見えない者にこそ、価値ある祝福が与えられます。そしてこの世の人間の価値観は逆転します。この交わりの中心には、十字架という最も低められ辱められ、小さくされて命を奪われたイエス様がおられます。そこから復活し、ご自分の命を割いて私たちに与えられます。 
 神の宴席マナーは聖餐のマナー。主の食卓では力で価値ある自分を演出する必要はありません。末席からは命の交わりにある兄弟姉妹が見えます。この交わりの喜びを、わたしたちの個人的な救いの喜びとして祝おう。

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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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