キリスト教徒が1%の日本では、信徒の家族に未信徒がいるのは日常です。だから「分裂」の痛みは、信仰者ならよく知ることです。
私が成人洗礼を受けた後、熱心に家族に語ったり勧めたりしたのでだいぶ嫌がられました。今は無理に分裂を産んだことを反省しています。ただ与える純粋な愛と祈りの行いが神を伝える。なるべく無用な分裂を引き起こすべきじゃない、と。
それなのにイエスさまにこう言われて戸惑います。「わたしは平和をもたらすために来たのではない、いやむしろ分裂だ。」「えっ、イエスさまは愛と平和の神ではないの?」と。
これは決して対立を引き起こせ、と焚きつけているのではあらず、現実を認めよ、と勧めているのです。どれだけ仲良くしても、神の前には主を信じる人と信じない人には隔たりがある。この現実を受け容れよ。だからこそ未信徒を愛しなさい、と。信仰は人の生き方を完全に変えるものだ。だからこそ人と違うことを、たとえ迫害されても恐れるな、と。
信仰による分裂の痛みを、イエスさまは十字架で自らに受けました。それが主イエスの受けた苦難の洗礼です。私たちが必要とする平和は、分裂の痛みから復活した主によって、炎の聖霊によって初めて与えられる平和です。