
ある年、広い畑は大豊作で倉に入らないほどでした。どうしよう。余った分は神に捧げたことにして、小作人に分けることもできました。または旧約のヨセフのように、干魃の時に備えて倉にしまうことも出来ました。
しかし、この男はただ自分の財産を増やすために倉を建て替えました。穀物を全部しまい、自分が神になって自分の魂に言うのです。「さあ安心して、食べて飲んで、楽しめ。」その時、表紙の絵にあるように、背後から既に御使いは命を神に取り戻そうとしていました。貪欲な男は死に、そして初めて財産は皆に分けられて、皆が豊かになったのでした。
もうすぐ自分はこの命を神にお返しする。これを悟る時「神の前で豊かになる」大切さが現実味を帯びます。人間的に見れば捨てること、嫌なこと、怖いことです。しかし自分の命を養い、命を取り戻される父に信頼する時、初めて信仰にそったお金の使い方ができます。献金が義務から感謝に変わります。
イエスは財産も命も全て父に捧げました。その結果この世を超える命を開かれました。