「わたしが去っていくのは、あなたがたのためになる」ヨハネ16:7 (三位一体主日)

2016/05/22


 「そんなこと言わないで、いつまでも元気で一緒にいて下さいよ」と嘆きたい弟子の心を想像します。別れを悲しみ否定する心。死別の悲しみを知る人はこの心をよくご存知でしょう。
 この冬急逝した神学館の同級生も、私が別れの悲しみに浸ることを望みませんでした。会いに来ることすら望みませんでした。ただ元気な時の記憶のまま電話口で「また会いましょう」とだけ言い残しました。彼は熱心に祈りつつ召されたそうです。教会と教区のため、勤務する学校、そして家族のために。♪こんなにも生きていたいなんて♪と葬式では歌われました。「同じ志を抱いて出会ったあなたの、途中で絶たれたその続きを、私も受け継ぎます」そう決めて「また会いましょうね」と棺の中に言いました。
 人との死別とイエスさまの昇天とは明確に違います。主は死から肉体的に復活したからです。しかし肉体が不在になる別れの意味では同じです。そして新しい形の霊的な存在感の意味でも。
 イエス様が肉体的にずっと主人公では、私たち弟子はいつまでたっても自分の心の底から神の道を生きられない。だからイエス様は肉体的に居なくなられました。そして見えない聖霊としてイエス様の心が私たちの心に宿り、私たちが最も自分らしく主人公として生きる時、神が最も神らしく主人公として現れるためのです。

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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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