ホーム
/
その他 /
「主は振り返ってペトロを見つめられた」ルカ22:61 (C年復活前棕櫚主日)
2016/03/20
実に喜ばしいことに復活日には洗礼があります。二人の青年が「私はイエスキリストを信じます」と告白し、神の愛する子供になります。
こう信じた番最初がペトロです。ですが彼の信仰は最初から強く偉大ではなく、最も弱く情けない裏切りから始まったのでした。
イエスさまが「今日、鶏が鳴く前にあなたは三度わたしを知らないと言う」と予告された夜、ペトロは息巻いて宣言しました。「絶対にあなたから離れません、逮捕されても殺されても!」しかし主が逮捕され、自分の身にも危険が迫ると、強い宣言は消え去り「あんな人知らない」と三度もイエスとの絆を否定します。「人間をとる漁師にしよう」と言って愛してくれた大切な人を裏切ってしまうのです。
そして鶏が鳴き、裁判の場から振り向いたイエス様に見つめられます。それは一体どんな眼差しだったのでしょう。非難か、諦めか、それとも憐れみか、赦しか。激しく泣きます。
しかしこうも予告されていました。「私はあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だからあなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」裏切った自分がイエスさまに見つめられ、赦され、祈られて初めてめて、自分ではなく神に頼り始めます。大失敗な自分が主に見つめられ、古い自分は死に、神に生かされる新しい自分が始まります。