「そして手に箕を持って」ルカ福音書3章17節 (C年降臨節第三主日 )

2015/12/13

 また嫌なイメージです。世間のクリスマス前の楽しい雰囲気とは逆に、厳しい審判者としてのイエスさまの来臨が告げられます。一般的に想像する優しく微笑むお顔とは全然違います。
 まず「悔い改めの実」のない木を切り倒すため、斧を持って準備しておられます。そして実を結んだ麦だけを神さまの倉にしまうため、脱穀用フォークをふるって無用な殻を飛ばしています。そして火を持ってその殻を燃やしておられるのです。斧と脱穀用フォーク(箕)と火をを持つイエスさまは審き主のイメージです。
 この審き主イエスさまの降臨を告げる洗礼者ヨハネも、負けじと厳しい言葉をぶつけてきます。怠惰なままでは「神の子」や「アブラハムの子」にはなれない。言葉だけで行いが伴わない者は「蝮の子」だ。具体的な日常生活の中で、小さくていいん、悔い改めを行動で示せ、と。
 なぜクリスマスがこんなに厳しいのか、、、?
 それは神が人を愛しているから。人間をその根本から変えて、人間を成就したいからです。そのため神は愛のない人間の現実を見過ごしにはできない。明確に審いて処分することなしに、真実の成就はないのです。人間への根本的な愛と、それを成就するための審き、この二つを神は自ら達成するために人となられたのです。そして審きを受けて死に、神に愛され復活しました。愛と審きの完成、それが神の降る日です。

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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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