
ふたつめは、乏しい中からも与える生き方。生活の隅々に至るまで神に頼っているからこそ「明日は神が守ってくださる」と、乏しい自分の中からも与える生き方です。ある一人のやもめは多額の献金をする金持ちに馬鹿にされても、自分の少ない生活費全部を通して、自分自身の生涯を神と人に注ぎ、与え尽くしたのです。
「生活費全部」と聞くと「それは無理、私とは違う関係ない話」と逃げ口実にしてしまいます。ですが「全部」とは誇張表現です。全部でなくても「乏しさの中から与える生き方」をイエスさまはあなたに選びとって欲しいのです。
ある信徒さんが思い出すのは、戦後の食糧難に街を焼け出された人を敷地に住まわせたご両親の姿だそうです。農家でない自分達も豊かではなく、物々交換で食料を確保せねばならない。それでも飢えた人を決して追い払わず、乏しい中から食料を分け与えられていたそうです。
自分は乏しく力なく何も与えられない。そう思う時こそ十字架の主イエスさまは、ご自分の乏しさの中から命を分け与えられます。それはあなたが、乏しい中から自分自身を分け与えて、限界を超える復活の命に参加するためです。