こう祈ってご自分をささげられるイエスさまの前に、わたしは自分が問われる気がします。「おまえは何のために、誰のために、自分をささげてきたのか? 一体全体おまえは、自分をささげる生き方をしてきたのか?
一人一人に生きる現場があります。勤め人なら、この会社やこの事業に。夫婦なら、生涯を共に生きると決めたこの人に。母親父親なら、愛する子供のために、自分をささげてきたことでしょう。聖職者なら、按手式で自分をささげる誓いがあります。
「この世で他の必要や欲を満たすこともできた。普通の価値観なら不幸や損失や間違いなのかもしれない。でもわたしは、このために、この人のために自分をささげて生きてきた。」人生の終わりにそう思える人は祝福された人だと思います。その最中は苦しくとも、自分をささげた時間と相手との関係は後に、復活の時に、必ず輝き出します。
そんな祝福された人生をわたしたちが生きるために、イエスさまはまず自分をささげられました。ささげることは聖別すること。イエスさまは尊いご自分の命を、特別にわたしたちのために費やそうと、父に向かって感謝し聖別し、そして惜しげも無くわたしたちに与えてくださいました。十字架と復活によってわたしたちは「神に自分をささげる」力強い者となるよりさきに、「神がご自分の命をささげた」憐れまれた者となったのです。
まず神がご自分をささげてくださった。わたしたちのために。だからわたしたちも喜んでささげる者となるのです。なれるのです。主と共になら。
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自己紹介
- ヨハネ荒木太一
- 大津市, 滋賀県, Japan
- 聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。
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