英国貴族を描いたあるテレビドラマに、法廷シーンがありました。皆に信頼された従者が無実の殺人罪で起訴されます。賢い検事は有罪と決めつけて不利な証言をあれこれ引き出します。それに対して男の弁護人はなすすべがありません。判決は「有罪、そして絞首刑に処す。」元軍人の大男は、何も言えず棒立ちで大粒の涙を流します。自分で自分を弁護できない人間の悔しさと悲しみに満ちた姿でした。ただ力強い弁護者が傍にいてくれれば。
神は弁護の無い悔しさをよく知り、わたしたちに弁護者を遣わしました。イエスさまです。十字架刑に処され、復活して天の法廷の弁護者となったイエスさまは、罪の奴隷となったわたしたちを弁護します。「父よ、わたしはこの者らと一心同体になり、罪を償って死にました。この者らは罪を悔いています。だからどうかお赦しください。お救いください。新しい命をお与えください。」復活したイエスさまが天に帰ったあとも、わたしたちは弁護なしに放っておかれません。別の弁護者、聖霊が来る。肉体がない分聖霊は、いかなる時でもイエスさまの存在を運び、神の命の交流に入らせてくださる。そしてこの世、という法廷でどんな敵に責められても、わたしたちを弁護し続けてくださる。「この人はイエスが命を投げ打って償った神の大切な子供だ。この世のどんな非難もどんな責めからも、この人は護られている。」
弁護者に守られている安心。どうかいつも、どんな日にも、これを心にしっかりと持ってキリストを伝えましょう。