「自分を捨て、自分の十字架を背負って」マルコ福音書第8章34節 (大斎節第二主日)

2015/03/01


 一見「教会のホームページにはどうか」と思ってしまうテロ組織の処刑場面です。しかし、目を背けたくなるような残忍な動画をこらえて見ると、これが現代に存在する迫害の現実であり、そして殉教死した人々の心の奥にはイエス様の御言葉の真意が現れてきます。
 2月15日、テロ組織により21名のコプト(エジプト)教会の信徒が残酷に殺されました。そしてネット世界で「見せしめ」にされました。エジプトの田舎から、家族のため、ビヤに出稼ぎに来ていた貧しい漁師達です。彼らはキリスト信仰を捨てるよう勧められても捨てず、殺される定めを受けました。
 そして人殺しがナイフを自分の首に当てる直前、アラビア語でこう叫ぶ音声が、聞こえてきます。
 「ヤー、ラビ、ヤスー!!」
 「ああ、わたしの主、イェスさま!!」
 主イエスさまは、一体どこにおられたのでしょう。
 2ヶ月以上拉致されていた間、いったいどんな問答を神としたことでしよう。「主よ、助けてください。」「できることならこの杯を取りのけてください。」「神よ神よ、なぜわたしを見捨てられたのか。」
 わたしなら祈りの言葉すら出てこないくらい取り乱すでしょう。信仰を捨てて生き残ることを考えるかもしれません。でも信仰を捨てて生き残っても、そんな自分を生き続けることができるでしょうか。
 この殉教者達に、生まれ育ったコプト教会で聞いたあの御言葉はどう響いたことでしょう。「わたしの後に従いたいものは、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」人殺しに着せられた同じオレンジ色の囚人服を着て、死から復活したあのお方がすぐ隣におられたのではないでしょうか。
 「ヤーラビラヤスー」「ああ、わたしの主、イェスさま!!」
 「ああわたしはあなたと共にいる、共に復活することになっている」

このブログを検索

そのほかのメッセージ

ラベル

復活 十字架 神の愛 聖餐式 信仰 祈り 聖霊 イエス 受肉 神の国 三位一体 癒し 赦し アッバ 悔い改め キリスト クリスマス 委ねる 恵み 救い 昇天 羊飼い 自分らしさ アブラハム ゲセマネ 兄弟姉妹 出エジプト 勝利 召命 変容 弱さ 悪霊 教会 洗礼者ヨハネ 神の子 解放 ぶどう園 インマヌエル ゲッセマネ 創造主 喜び 大祭司 奇跡 嫉妬 子ども 宣教 忍耐 悔い改め、荒れ野 悪魔 感謝 放蕩息子 洗礼 神の支配 自由 行い 過ぎ越し 陪餐 Being うつ かみのくに からし種 み名 み心 アダム イスラエル エリヤ ガリラヤ サマリア人 ザアカイ スキャンダル タラントン タリタクム パン裂き ピスティス ペテロ ペトロ マリア マルタ メシア ヤイロ ユダ ユーカリスト ラザロ 不安 不正な管理人 主の祈り 今ここに 仕える 伝道 信頼 偶像 共感 再創造 再臨 十戒 原罪 受容 受難 境界線 天国 奉仕 奉献 婚宴 安息 審き 希望 平安 幸せ 弟子 律法学者 従順 忠誠 憐れみ 懺悔 成就 戒め、山上の説教 承認欲求 招き 新しい創造 最後の晩餐 栄光 楽園 権威 歴史 毒麦の譬え 洗足式 清い 灰の水曜日 無力 父、三位一体 独り子 現存 生きる意味 病い 真理 礼拝 祝福 神の家 神の言葉 神殿 祭司 種蒔き 絶望 聖書 肉体 自己肯定 苦難の僕 裁き 見失った羊 覚悟 親密さ 観想 記憶 誓約 誘惑 誠実 譬え 財産 貧しい人 貧しい人、共有、復活 賜物 賢明さ 躓き 身代金 迫害 追放 重荷 障害 静けさ 食卓 飢え 養い

自己紹介

自分の写真
大津市, 滋賀県, Japan
聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

日本聖公会京都教区 大津聖マリア教会

Wikipedia

検索結果

コメント

名前

メール *

メッセージ *

Tags

QooQ