「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のまま」ヨハネ福音書第12章24節 (B年大斎節第五主日)

2015/03/22


 こんなにも農民生活に密着したイメージで、イエスさまはご自分の生き方と死に方を弟子たちに前もって伝えておきました。弟子たちはその時は意味が分からなかったでしょう。ふつう、種を蒔くことは「種を蒔く人」の視点から見れば「死」の行いではありません。収穫を期待して命の可能性を蒔く行いです。
 でもイエスさまは「蒔かれる一粒の麦」の視点で言われました。日本語でまさに「彼の信望は地に堕ちた」というように人の目には十字架の上で、全く無駄になった、意味がなくなった、役に立たなくなったのです。農夫が大切に入れていた袋から出され、敵が待っている地面に捨てられる。必ず助かる目に見える保証はない。ひたすら神に救いを、御名の栄光を求めるだけです。
 イエスさまが十字架で殺されたあと、三日後に復活し、パンを割く弟子たちの真ん中に現れはじめた時、弟子たちは「ハッ」と主の言葉を思い起こしたでしょう。「そうだ。あなたたち復活共同体が生きるように、わたしは犠牲となった。一粒の麦となって地に落ちて死んだ。そして復活して、あなたたちという実りを結んだ。あなたはわたしの結んだ実り、わたしの父が大切に大切にしている実りなのだ」と。
 麦畑を見るたびに弟子たちはイエスさまを思い起こし、イエスさまは心に語りかけたでしょう。聖餐式で、麦からできたパンを噛みしめるたびに、わたしたちはイエスさまの命の犠牲を感謝するのです。
 人は人に命を与える生き方ができます。それと同じように命を与える死に方もできます。死に方は生き方です。死をも人に与えよう。一粒の麦のように。



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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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