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「権威ある新しい教えだ」 マルコ福音書第1章27節 (B年顕現後第四主日)
2015/02/08
「先生とは呼びません!!」
そう言われたことがあります。一回目は神学館卒業後の最初に赴任した教会ででした。その長老は80歳の元校長先生でいらっしゃいました。「先生とは『先に生まれた者』と書く。だからわたしはあなたを先生とは呼びません。荒木君と呼びます」と。わたしは少し反発しながらも、妙に納得しました。
二回目は結婚式の挨拶で、幼馴染からでした。「タイチが偉い牧師でも、僕は絶対に先生とは呼びません!」と連呼して聴いていた信徒さんを爆笑させてくれました。わたしはとても納得しました。彼は未信徒なのに、来てくれたのです。そして対等なただの幼馴染として結婚を祝福してくれたのです。
お二人とも「先生とは呼びません」ということで対等な関係を宣言されました。「先生と言われるほどの馬鹿でなし」という言葉もあります。長老は対等な教会生活のため、また幼馴染は友としての誠実な祝福のためにそう言われました。人間が人間に「先生と呼べ」と要求することほどバカらしいことはありません。だから嬉しい言葉だったと思います。
誰かを先生や師匠や恩師、そう呼ぶことは、自分がその人の力に変えられて生きていくんだ、と進んで認めることだと思います。人を束縛する「ニセ先生」ではない。自分を解放し、変容させ、命に導いて下さる人生の先生。これはよい意味で一方的な上下の関係です。愛する先生が一言「黙れ、この人から出て行け」と自分の中の悪に宣言されれば、その悪は有無を言わさず出て行く、そんな力を持つ先生です。
「先生!」あなたはイエスさまをそう呼びますか?