「人をとる漁師にしよう」マルコ福音書第1章17節 (B年顕現後第三主日) 

2015/01/25

 こう呼びかけるあの人に会った時、後のキリスト教会の初めとなったシモンとアンデレは、どれだけワクワクしたことでしょうか。彼らはおそらく文字も読めない漁師で、魚を取る日々を来る日も来る日送っていた。そこに垂直に神の時が降ってきた。神の時に直面したのです。
 今のわたしたちにもイエスは呼びかけています。
 「さぁ神の勝利が近づいた。わたしの後について来い。お前が魚をとるように、しかしもっと大きな目的のため、人間をとる漁師に、わたしが変えよう」。そう呼ばれ即座に決心しました。人をとる漁師の意味も知らないまま「この人に自分を掛けよう」と。
 日本人の人質を取って身代金を要求したイスラム暴力主義にも若者達は同じ様な高揚感に突き動かされて身を投じたのでしょう。貧困や閉塞から脱出せよ、と叫ぶ過激な思想は人を魅せます。そして自爆テロという自己犠牲の暴力的な歪曲も出てきます。
 自己犠牲なら、わたしたちクリスチャンもまた「十字架の道」という自己犠牲へと召されています。しかし一番の違いは「人をとる漁師」の頭であるイエスは自分の力や暴力で人を拘束しない。イエスは暴力を否定し、敵のために祈り、多くの人の身代金として逆に自ら敵に殺されたのです。自分だけが暴力を受けることで、本当の愛を生み出したお方です。この自己を犠牲にまでする愛が人を漁るのです。
 同じガリラヤ湖で復活の主に再会した弟子達は、一生かけて人をとる漁師に変容していきます。自分は投げられ傷つけられても、神の道具として人を父の御胸へと導く「キリストの網」に成ったのです。

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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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