
しかし何年何月何日に確かに洗礼を受けたわたしたちは、成人洗礼でも幼児洗礼でも、この神さまの絶対の愛の宣言を受けています。テレビの声のようには聞こえないし、第一覚えていないけれど、洗礼の時に確かに神さまはこう宣言された。「お前はわたしの大切な大切な子供、何をしようと、どんな失敗をしようと、お前の存在はわたしの心の喜びだ」。
神の愛の宣言をイエスさまが聞かれたのは、30歳でやっと働き始めた時でした。まだ何にも成し遂げていないのに「わたしの心に適う者」と神さまは宣言されたのです。これには、今から人のために自分の命を捨てる苦難の僕の使命が含まれているのでしょう。そして「これからお前が自分の使命を生きていく中で、わたしは何があってもお前の味方だ。お前はわたしの喜び、わたしの心なんだ」と宣言された。そしてこの宣言だけを支えに、イエスさまは十字架の道を逃げることなく歩まれたのです。
これは幼児洗礼と似ています。まだ人として何も達成も選択もする前から、神さまは「お前はわたしの愛する子、わたしの心だ」と宣言される。だからこそ人は、この愛の宣言を生きる支えにできる。人間的にはどんなに限界でも、神からの愛と働きを信じて生き抜いていける。人生は人が選択するのではなく、神が宣言し導くもの。だから神は最後に必ず、愛する子供達を永遠の命に蘇らせて下さるのです。