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マリア、恐れるな。ルカ福音書第1章30節 (B年降臨節第4主日)
2014/12/21
マリア、恐れるな。
「おめでとう、恵まれた方。 あなたは13歳の乙女のまま神の子を妊娠する」。もしも今、目の前に天使が現れてそう告げられば、わたしは一体どう応えるだろう。
マリアはナザレの田舎で農民として育ちました。大工のヨセフと婚約し、貧しいながらも安定した幸せを描いていたでしょう。それが、父親知らずの子を妊娠した、となれば婚約者からは離縁され、村人からは姦淫の罪で石打ちの刑にされるに違いない。
あまりにも厳しい「恵み」。しかもその子はダビデ王国の後継者、永遠に生きて支配する王となる、と言います。この神の計画を受け入れるまで、どれほどの心の格闘があったことでしょうか。これは本当に恵みなのかとマリアは戸惑い、考え、恐れ、否定して天使に言い返します。「まさか、ありえない。わたしは男の人と関係を持ったことがないのです。」
処女のまま妊娠し、出産し、育てていく。そこには普通の父親の存在が無い。普通なら「愛するあの人との間の子なんだから」と踏ん張る根拠が、マリアには無い。人間ヨセフではなく、神ご自身がこの子の父で、この子は父なる神の子、わたしは神の子の母、神の母になる。そんなことできるだろうか?
人間の父親、力の源が無いまま、マリアはしかしこの子の天の父に信頼して応えました。「何にも無いこの自分に、あなたの言葉が成りますように」。
こうしてイエスは神を父に持ち、人間マリアを母に持って生まれました。神と人は、このイエスの存在の内に結び合わせらたのです。自分には「無い、何の力も無い」という所でこそ神はわたしたちを恵み、聖霊で包み、ご自分に結び合わせられます。