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「心の貧しい人々は幸いである。天の国はその人たちのものである」マタイ福音書5:1 (A年諸聖徒日)
2014/11/09
心の貧しい人々は幸いである。天の国はその人たちのものである
人は死んだら終わりなのか。死ぬのは苦しいのか。わたしはまだ死にたくない。だから病気もイヤ。あの人はなぜあんなに早く死んでしまったんだろう。他の人はもっと長生きしてるのに、、、、と、墓地礼拝に来ますといろんな問いが心に湧き出てます。それらの自然な思いは「死」や「死をもたらす病や老」に対する恐れから湧いてきます。死から逃げたい、からです。
しかしイエス様はそんな質問に答えません。イエス様がなさるのはただ、祝福の宣言です。「心の貧しい人は幸いである、天の国はその人たちのものである、悲しむ人は幸いである、その人たちは慰められる」と。イエス様が「幸いである」というとき、それは「あなたは幸せですね」と現実を描写しているのではありません。そうではなくて、文語なら「幸いなるかな」、「あなたこそ幸せになりなさい」と命令するのです。そして神さまの命令ですから、必ずその通りになる。光あれ、といわれて光がなったように。
墓地でわたしたちは命の食卓を祝います。それは主イエス様が死者の中から復活し、神の命は死よりも強いことが明らかになったからです。だから墓場はもう死の支配する暗い場所ではない。神さまの定める時に復活するまで、しばらく「骨を休める」休憩所になったのです。復活の体を持って、愛する人と出会う希望の場所となったのです。ここに眠る人達との聖徒の交わりを、命の聖餐を通して体ごと感じましょう。