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「主よ、いつわたしたちは、、、。」 マタイ福音書第25章37節 (A年降臨節前主日)
2014/11/23
主よ、いつわたしたちは、、、。
俳優の高倉健さんは、大スターであるのに関わらず、スタッフやファンや同僚など、誰に対しても親切に誠実に接したそうです。だから尊敬されました。相手によって親切さを変えるのは本当の愛ではありませんね。逆に誰に対しても、特に困っている人に親切にするなら、そこには大切な出会いが生まれます。
人と出会うとき、知らないうちに「わたしに出会い、わたしに接している」と主イエス様は言います。そしてその人が弱い時、見知らぬ親切を実践したかどうか、それが最後の審判の基準だ、と。わたしたちは知らないうちに主と出会うのです。最も弱い人、取るに足りないような人、飢え渇く人、居場所なく無防備な人、病んで弱い人、束縛された人、、、その人を通して、実は主イエス様があなたに会いに来たのです。
「教会にホームレスの方が助けを求めに来た」というような分かりやすい事例では、すべきことはわかりやすい。しかし「最も小さい者」はもっと見えにくい。それは「最もつまらない、最も取るに足りない」存在、近すぎて見えない存在です。例えば、礼拝で隣に座っている人、あまりにも近くて親切に世話をするのが面倒にも感じる家族、または自分とは関係ない他人だと思っている人、、、。その人こそが、目には見えないあなたの主イエスなのだ、と。
最も小さい者として主イエス様はわたしたちに会いに来られます。それは主イエスご自身が最も小さく、飢え渇き、放浪し、弱く十字架で死んだ救い主だからです。そして復活された今、主イエス様は最も小さい者として出現されるのです。どうか、見知らぬ親切のうちに、イエス様と出会えますように。