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「臆病風に吹かれてしまった悪い僕よ!」マタイ福音書第25章26節 (A年聖霊降臨後第23主日)
2014/11/16
臆病風に吹かれてしまった悪い僕よ!
少年野球の監督は怖い存在でした。サングラスをかけたしかめっ面でとにかく怒る、怒る、怒る。僕は萎縮してしまって三振ばかり。失敗の恐怖に、凍りついてしまうのです。
しかし中学チームの監督は逆でした。ワッハッハ!!と笑って、ここぞというときには「ホームラン」のサインが出て「楽しんで来い」と言ってくれるのです。そのおかげで自分らしく動けて結果もついてきました。
タラントンの喩えの中で、私なら銀貨を地に埋めて隠したと思います。1タラントンは約6千万円。そんな大金を主人から預かったなら、賭けや商売などせず、怪しい高利貸しにも預けず、大切にそのままお返しするのが一番堅実。何がなんでも主人の怒りは避けたい。
でもそうしたのは私だけ。5タラントン、2タラントン預かった他の者らはその金をまるで自分の金のように自由に扱い、生き生きと商売を始めた。私は横目で見て思っていた。「なんとまあ危なっかしいことだ、そのうち失敗して元手まで失い、主の逆鱗に触れはず」と。
さあ、主人がお帰りだ。清算が始まった。なんと幸運なことに、他の者たちは商売で儲かったようで、主人はその行いを褒めて「主の祝宴に入れ」と呼ばれた。
そして私の順番。隠した銀貨をそっくりそのままお返ししたのに、主人は恐怖の束縛を見抜いて怒ったのです。「臆病風に吹かれてしまった悪い僕よ!」。そこで私は初めて大いなる誤解に気づくのです。主人は私に、失敗してもいい、それでもリスクを負って財産を増やす生き方を選んで欲しい、と願っておられたのだ、と。
それは実はキリストの生き方そのものです。自ら傷ついて死ぬ、というリスクを負い代償を払っても、この世界の人々を救う。それはリスクを超える自由な行為です。この生き方に、わたしたちは召されているのです。主を信じ、勇気をもって、自分の命を賭ける生き方を選ぶために。