「イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう。」1テサロニケ4.14 (A年特定27) 

2014/11/09


イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう。

 この秋、上野聖ヨハネ教会もまた一人の信徒をこの世から見送りました。施設での生活、ご臨終の時、そして葬送への一連の中で印象に残ったのは、家族や信徒や牧師が彼女に触れる場面でした。特にコミュニケーションが困難になってからは、それが大切になりました。祈りの終わりには必ず手に触れて「アーメン」と握り、確認しました。
 そう、確認するのです。わたしたちは、愛する家族や愛する人に触れて「ここにいる」と確認し、「ここにいるよ」と伝えたい時があります。手のぬくもりを通して「確かにここで生きてるよ」と。そして、大切な人が死んだ後にも「触れたい」と思うことがあります。命を感じないことをも手で触れて確認します。そして感じない中で願います。「ああ、もう一度会いたい、生きてるあなたに、会いたい」と。存在は体で感じるのです。
 常識を超えて教会は信じます。わたしたちの体は復活する、と。なぜならわたしたちが信じる主イエスさま自身が死に、しかし体ごと復活したから。体のないフワフワ浮いてる魂じゃない。手を握って頬を包んで「ここにいる。ここにいるよ」と確認できるくらいに温かく近く感じられる命。どんな病気や障害から来る悲しみも、一瞬で消し去ってくれる凄まじい命の喜び。そしてみんな主イエス様と会い、愛するあの人と会える。復活は体ごと感じる愛する人との再会。わたしたちはそれを自分の希望にしていいのです。

このブログを検索

そのほかのメッセージ

ラベル

復活 十字架 神の愛 聖餐式 信仰 祈り 聖霊 イエス 受肉 神の国 三位一体 癒し 赦し アッバ 悔い改め キリスト クリスマス 委ねる 恵み 救い 昇天 羊飼い 自分らしさ アブラハム ゲセマネ 兄弟姉妹 出エジプト 勝利 召命 変容 弱さ 悪霊 教会 洗礼者ヨハネ 神の子 解放 ぶどう園 インマヌエル ゲッセマネ 創造主 喜び 大祭司 奇跡 嫉妬 子ども 宣教 忍耐 悔い改め、荒れ野 悪魔 感謝 放蕩息子 洗礼 神の支配 自由 行い 過ぎ越し 陪餐 Being うつ かみのくに からし種 み名 み心 アダム イスラエル エリヤ ガリラヤ サマリア人 ザアカイ スキャンダル タラントン タリタクム パン裂き ピスティス ペテロ ペトロ マリア マルタ メシア ヤイロ ユダ ユーカリスト ラザロ 不安 不正な管理人 主の祈り 今ここに 仕える 伝道 信頼 偶像 共感 再創造 再臨 十戒 原罪 受容 受難 境界線 天国 奉仕 奉献 婚宴 安息 審き 希望 平安 幸せ 弟子 律法学者 従順 忠誠 憐れみ 懺悔 成就 戒め、山上の説教 承認欲求 招き 新しい創造 最後の晩餐 栄光 楽園 権威 歴史 毒麦の譬え 洗足式 清い 灰の水曜日 無力 父、三位一体 独り子 現存 生きる意味 病い 真理 礼拝 祝福 神の家 神の言葉 神殿 祭司 種蒔き 絶望 聖書 肉体 自己肯定 苦難の僕 裁き 見失った羊 覚悟 親密さ 観想 記憶 誓約 誘惑 誠実 譬え 財産 貧しい人 貧しい人、共有、復活 賜物 賢明さ 躓き 身代金 迫害 追放 重荷 障害 静けさ 食卓 飢え 養い

自己紹介

自分の写真
大津市, 滋賀県, Japan
聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

日本聖公会京都教区 大津聖マリア教会

Wikipedia

検索結果

コメント

名前

メール *

メッセージ *

Tags

QooQ