今週の御言葉は「わたしたちは神の民だ」と思っている全ての信仰者に厳しく忠告します。愛の実践や態度が伴わない信仰者は悪者だ。神の国はそんな者から取り上げられるのだ、と。
使徒パウロも戒め、励まします。「わたしは救いを既に手に入れ、安心して余生を過ごしているのではない。最後まで短距離走の様にひたすら前傾姿勢で信仰と愛を実践し続けるのだ」と。
マタイは旧約から受け継いだ「ぶどう畑の愛の歌」に沿って、神の子イエスの受難死を語ります。葡萄園の主人は葡萄園を愛して出来る限りのことをして農夫達に貸し、故郷から離れた。収穫の時に実りを期待して、主の僕を遣わすと邪悪な農夫は一人また一人と打ち殺す。最後に「息子なら敬ってくれるだろう」と遣わした子をも葡萄園の外で殺した。だから怒った主人は悪い農夫らを殺し、葡萄園を他の民族に与える。新しい民族は必ず実を結んでくれるだろう、と。
当時の聴き手には何を指すのか明らかでした。主人は神、葡萄畑は神の民イスラエル、農夫は指導者で主の僕は預言者、最愛の息子はイエス様。イエスを受け入れずに街の外で殺した古い民から、神は「神の国」を取り上げ、実りを収穫する「新しい民族」に与える。復活したイエスはその愛の「実を結ぶ」民族の礎となる、と。
神はあなたを愛される、と同時に神はあなたが愛を実際に実らすことを望んでいる。どうか神に頼り、愛を実践する人になれますように。