この聖なる交わりは、キリストの心を一人一人が大切に抱くことで成立します。それは信仰の核心を表現した「キリスト賛歌」が歌う、神と人を結び合わせた恵み、キリストの心です。それはね一言でいえば「へりくだり」の心です。人を愛するがために下へ下へと、十字架刑の恥ずかしめまで降りていく神さまの心です。罪人の象徴であるアダムは、神からの恵みを自分の獲得物として握りしめて離さなかった。だから罪と死の奴隷となりました。しかしキリストは神であるその平和な地位に執着せず、人を愛するがゆえに、自分を無にして、自分を空にして、自分を低めて、あなたと共に喜び、あなたと共に泣く一人の人間になられたのです。
人を愛して連帯したが故に「自分なんてどうでもいい」と自分の命を人に与える。それこそ本当のへりくだりであり、本当の謙遜です。この心を抱いて生きた人を神は必ず永遠の命に高められます。どうかこのキリストの心を一人一人が心に抱き、低く低くなって愛し貫き、キリストと共に天の御国に高めて頂けますように。