怒り心頭な話が語られ、「天の国はそんなものだ」と宣言されます。丸一日、中東の熱風に耐えヘトヘトになって働いた自分の賃金が、涼しい夕方に一時間だけ働いた奴と同じなんて、、、。「そんな 不公平な!」と主人に怒りをぶつけます。
この怒りは、これまでの自分の働きと苦労が報われることを願うことから沸いてくる怒りです。とくに他人の苦労とそれを比べる時にです。
私が過労によって精神障害を背負うことになったとき、一番最初に抱いたのは神への怒りでした。「なんでこんなにあなたのために働いた私が、障害者にならなあかんのか。これだけあなたのために働いたのに、なんで守ってくれへんかったんや。なんでもっと恵み与えてくれへんのや、、、」と。とても切ない怒りでした。それは自分を、どれだけ働いても元気ハツラツな他の牧師と比べて、その恵みを妬んでいたのです。
そう怒る労働者たちに主人は語りかけます。「恵みについて、お前とわたしの一対一での約束を忘れるな。自分と他人の働きから勘定して、恵みを要求するな。わたしこそ恵みの自由な主人だ。わたしが人に恵みを与えたい、と思う善い心を、悪い目で見るな。心配するな、約束通りわたしはお前の人生に必ず報いるから。」
これを聞いた労働者がどう応えたか、それを聖書は私たち一人一人に委ねます。他人から離れて、もう一度神の前で独りになり、主の自由な恵みを、ギフトとして受け取るかどうか。