罪人は処断されねば、新しく生き直せません。
だから、全人類の有罪判決を受けるため、罪深い人間の領域に神の子イエスさまは遣わされました。そして神はイエスさまの人生の中で「罪を罪として処断された」のです。つまり、罪に対して死刑判決を宣告し、罪を滅ぼしたのです。
逆に言えばそれまで罪は、神の民に神を忘れさせ、愛を失わせ、人間を芯から腐らせてきました。にもかかわらず、わたしたちの罪は「肉」と呼ばれる、神に反抗する身勝手な自我のうちに隠れ通してきました。罪が処断されないため、神から逃げ回り、神の民を苦しめてきたのです。
しかし神は、この罪の暴挙を見逃しませんでした。罪のなすがまま罪に従い、死に定められていたわたしたちを、神は愛し抜いて導き出されます。その方法は、大切なご自分の息子を、全人類の代表として罪の渦巻く人間界に遣わし、罪の断罪をその身に受ける、という道。この人間イエスに対し罪は猛威を振るってその全貌を表しました。全ての人を用い、聖なる律法を悪用し、わたしたちの罪は神の子を死に至らしめたのです。「殺せ殺せ」と十字架につけたのです。
イエスさまが死んだ時、実はわたしたちの罪も死刑に処されました。罪の有罪判決を受けたイエスさまの死は、罪なわたしたちの死です。そうして始めて神の義が与えられ、新しく無罪宣告され、聖霊の命に生かされるのです。罪は断罪され、命は勝訴しました。この神秘を喜ぼう。