共にうめき、共に生みの苦しみを味わっている (特定11) ローマ8.18-25

2014/07/20


 複雑骨折の手術を終えたある信徒さんは、その夜、言葉にならない激しい、深い痛みに襲われたといいます。泊まり込みで看護されていた娘さんは「暴れるように痛がる母に何もしてあげられなくて、、、」と辛そうでした。神さまが創られたこの体の痛みは、心の持ちようではどうにもできないものです。唯一、神の癒しが体全体に訪れるのを、うめいて待つしかありません。
 そして娘さんは、唯一、人間にもできる大切なことをなされました。それは「共にうめき、共に産みの苦しみを味わう」ことでした。
 パウロの目には、この世に創られた生きとし生けるもの全てが救いを待って共にうめいています。しかもそれは人間の罪による傷からの回復です。この痛み、うめく世界の一部として信仰者もまた世の終わりを待っている。この生の終わりには必ず体は復活し完全に癒される、と。
 この「最後を待つ」姿勢をイエスさまは「毒麦のたとえ」で教えられます。最後には必ず毒麦は処分される。だから今は、人への善悪の判断について寛容でありなさい、と。しかし、イエスさまにそう言われても、自分には「悪」にしか見えない人と一緒に行きていくのは、非常に忍耐力のいることです。うめきたくなります。
 主イエスさまは、そんなわたしたちと、そしてまた被造世界全体と共にうめき、産みの苦しみを味わって下さっている。だから「もうダメ」と言いってしまうくらいの苦しみの中でも、主と共にうめいて、復活を待とう。

このブログを検索

そのほかのメッセージ

ラベル

復活 十字架 神の愛 聖餐式 信仰 祈り 聖霊 イエス 受肉 神の国 三位一体 癒し 赦し アッバ 悔い改め キリスト クリスマス 委ねる 恵み 救い 昇天 羊飼い 自分らしさ アブラハム ゲセマネ 兄弟姉妹 出エジプト 勝利 召命 変容 弱さ 悪霊 教会 洗礼者ヨハネ 神の子 解放 ぶどう園 インマヌエル ゲッセマネ 創造主 喜び 大祭司 奇跡 嫉妬 子ども 宣教 忍耐 悔い改め、荒れ野 悪魔 感謝 放蕩息子 洗礼 神の支配 自由 行い 過ぎ越し 陪餐 Being うつ かみのくに からし種 み名 み心 アダム イスラエル エリヤ ガリラヤ サマリア人 ザアカイ スキャンダル タラントン タリタクム パン裂き ピスティス ペテロ ペトロ マリア マルタ メシア ヤイロ ユダ ユーカリスト ラザロ 不安 不正な管理人 主の祈り 今ここに 仕える 伝道 信頼 偶像 共感 再創造 再臨 十戒 原罪 受容 受難 境界線 天国 奉仕 奉献 婚宴 安息 審き 希望 平安 幸せ 弟子 律法学者 従順 忠誠 憐れみ 懺悔 成就 戒め、山上の説教 承認欲求 招き 新しい創造 最後の晩餐 栄光 楽園 権威 歴史 毒麦の譬え 洗足式 清い 灰の水曜日 無力 父、三位一体 独り子 現存 生きる意味 病い 真理 礼拝 祝福 神の家 神の言葉 神殿 祭司 種蒔き 絶望 聖書 肉体 自己肯定 苦難の僕 裁き 見失った羊 覚悟 親密さ 観想 記憶 誓約 誘惑 誠実 譬え 財産 貧しい人 貧しい人、共有、復活 賜物 賢明さ 躓き 身代金 迫害 追放 重荷 障害 静けさ 食卓 飢え 養い

自己紹介

自分の写真
大津市, 滋賀県, Japan
聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

日本聖公会京都教区 大津聖マリア教会

Wikipedia

検索結果

コメント

名前

メール *

メッセージ *

Tags

QooQ