ある高齢の信徒さんが長いあいだ腰痛に苦しんでおられました。「どうですか」と尋ねるとこう返されます。「これは死ぬまで、治りませんわ。」冗談のようで真剣な、素敵な天国を願う言葉だと思います。天国では一切の痛みはないのです。
わたしたちはこの世で生きる限り、いろんな痛みから離れられません。神の命から遠ざかり、分かっているのに罪を行うことは、心を痛めます。そこでパウロは同じように言うのです。「この罪は死ぬまで治らへん。いっぺん死んだら罪から解放されるわ」と。
しかしパウロがここで言う「死んだ者」は、「あの世の者達」ではありません。それでは遅すぎるのです。このわたしが死に、罪の支配から解放され、新しい命のうちに今ここで生かされたい。そう願うならば道は一つだけです。それは、救い主と一体となり、古い自分に死んで、復活の命に「今ここで」生かされる道です。「わたしのために命を失う者は、それを得る」道です。
ローマ6章は信仰者が洗礼によってキリストと一体になった事実を強調します。主と「結ばれ」、「死にあずかり」、「共に十字架に付けられ」、「共に葬られ」、「罪に対して死に、神に対して生きる」。キリストと結ばれたあなたは、既に罪の国から神の国へと脱出し、解放され、移籍したんだ、と。国籍は既に天に移っているんだ、と。
だから自信を持って復活の命を実践しましょう。罪に死んで、神に生きる。キリストが一体なんですから。